実践志向

気付きから実践が始まる詩的な日常、あるいはその生き様

巣立ち

どうも。ふぐだいすけです。

読者の皆様、たいへんご無沙汰しておりました。

今年の3月23日に「WordPressの方にブログの移転を検討しています!」と宣言してから、あっという間に3ヶ月が経ちました。本日の記事で、宣言通りに堂々と「WordPressへの移転が完了しました!」と言えたなら、多少の格好はついたかもしれませんが…

3ヶ月前のあの情熱はどこへやら…

気がついてみると、WordPressへの移転はおろか、「言葉を紡ぐ」ことに対する意欲や情熱も無くなっていました。

そんな状況に対して、内在する「真我」に近い自分自身は、

自分の為に言葉を紡ぐのではなく、
相手の為に言葉を紡ぎなさい

というメッセージを、あの手この手で*1伝えてきていました。

確かにこの3ヶ月間は、「自分の為ではなく相手の為に言葉を紡ぐ」ことが意味する型を求めて、顕在的にも潜在的にも葛藤していたような気がします。

しかし、3ヶ月後のいまこの瞬間の自分自身を省みても、まだまだ「相手の為に言葉を紡ぐ」ことの意味する型を理解できたとは思えません。

これはきっと、魂レベルで腑に落ちるまで続く修行なのだと思います。

Monk

人間ならば誰もが、魂の修行僧です。

共に、この世で起こる出来事の一つひとつを「修行」と捉えてみませんか?

みんながそんな認識を持った世の中からは、「成功」や「失敗」などの二元論的振り分けも無くなるはずですから。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

*1:瞑想中に言葉が降りてくるような感じだったり、外出先で出会った人の発言がそのメッセージを暗に含んでいたり…