実践志向

言葉の感覚を大切に。「気付き」から「実践」が始まる詩的な日常。

糸かけ曼荼羅アート

どうも。fugu029です。

2017年9月10日(日)。前々から気になっていた「糸かけ曼荼羅アート」ワークショップに参加してきました。

ptix.co

できあがった作品

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気付き

終了時間を30分ほどオーバーする位、ただただ作り出すことに没頭した時間でした。瞑想をしているときの感覚に近いものがあります。作品を作り上げていく過程で、いくつか気付いたことがあるので共有します。

1. 枝葉に捉われると本質から外れる

釘を木板に打ち込んでいく作業にて。最初は、釘をまっすぐ均等に美しく打ち込まなければならないと考えていました。でも、半分くらい釘を打ち込み終わった辺りで違和感に気付いたんです。

釘を綺麗に打ち込むことは本質じゃない。

ちょっとぐらい釘が曲がったっていいじゃないですか。確かに、すべての釘がまっすぐ打ち込んであると美しいかもしれません。でも、その美しさは心のこもっていない機械的なものになるでしょう。

そこは本質ではない。注意するのは大切だけど、執着すると本質から外れていく。そんな気付きでした。

2. やってみなければわからない

どんな色の糸を選び、どんな順序でかけていくのか。最初に漠然としたプランを決めても、糸かけの工程が進んでいくにつれて、イメージしていたものと違った捉え方が生じてきます。

イメージと違うと感じたら、色を選びなおしてみる。そこで選んだ色の糸をかけ終わってみると、またイメージしていたものとは違った捉え方になっていて…

最後までその繰り返しでした。
何事もやってみなければわかりません。その一言に尽きます。

3. 信頼に見え隠れする不安

糸かけ曼荼羅アートは、基点とする釘から、ある素数だけ離れた釘に糸をかけていくことを延々と繰り返していく作業です。

途中から、釘の数をかぞえなくても次に糸をかけるべき釘がわかってきたりして、法則性が見えてきます。

しかし、この法則性が厄介でした。「次は絶対ここの釘に糸をかけるんだ」とわかっていても、不安が押し寄せてくるのです。法則性がわかっていても不安に負けて、釘の数をかぞえた場面が何度かありました。

馬鹿になるぐらい自分を信じることが必要なのかもしれません。糸をかけるべき釘の位置を間違っても、間違ったという学びがあったから次に進める。そのぐらいの姿勢でいた方が、人生もっと楽しいかもしれない。そんな気付きがありました。

さいごに

次回は、以下のようなもう一回り大きなサイズの糸かけ曼荼羅アートに挑戦したいです。

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これは私の作品ではありませんが、素晴らしいですよね。創作意欲がどんどん膨らんで、創作の過程で気付きも出てきて、こんなに一石二鳥なワークショップはなかなか無いと思います。

主催者の方へ。
素晴らしい時間をありがとうございました。

ぜひ、みなさんも「糸かけ曼荼羅アート」に触れてみてはいかがでしょうか?